H25.7.14主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「聖なる都」
聖書の箇所  「黙示録21:22~22:5」 
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
21:22 わたしは、この都の中には聖所を見なかった。全能者にして主なる神と小羊とが、その聖所なのである。
21:23 都は、日や月がそれを照す必要がない。神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。
21:24 諸国民は都の光の中を歩き、地の王たちは、自分たちの光栄をそこに携えて来る。
21:25 都の門は、終日、閉ざされることはない。そこには夜がないからである。
21:26 人々は、諸国民の光栄とほまれとをそこに携えて来る。
21:27 しかし、汚れた者や、忌むべきこと及び偽りを行う者は、その中に決してはいれない。はいれる者は、小羊のいのちの書に名をしるされている者だけである。
22:1 御使はまた、水晶のように輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、
22:2 都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。
22:3 のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、
22:4 御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
22:5 夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

 黙示録はローマの迫害が激しくなってきた紀元90年代に書かれ、神とキリストの究極的主権が明らかにされ、また信仰の戦いを闘い抜いた者に約束されている神の国の素晴らしさが描かれています。今日の箇所には世界の終末の出来事の後に、最終的に神がもたらされる神の国、神の聖なる都について幻や象徴的な表現で記されています。イエスを信じ救われた者が目指すのは、この<神と共に住む聖なる都>です。

1、聖所である神の都
 神の国には神殿がありません。もはや人が神を探し求めたり、犠牲をそなえて神に近づく必要、はなくなり、神と人とは何の隔てもなく豊かな交わりが与えられて、神と共に住む者とされるのです。本来人は神と交わりを持つ存在として造られましたが、神の戒めを破ってエデンから追放され苦難を担って生きるものとなりました。しかし、神はキリストを遣わし、その贖いを通して神に立ち帰る道を備えてくださいました。
「あなたの祭壇のかたわらにわが住まいを得させてください。あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。」(詩篇84:3-4)
神に近く住むことが最高の願いなのです。

2、いのちの水の川、いのちの木(22:1-2)
 聖なる都には、 「いのちの川が流れ、川の両側にはいのちの木が」 生えています。いのちの水は 「神と小羊との御座から出て」 おり、人を生かす命に溢れています。またいのちの木の豊かな実は人の心に彩や味わいを与え、その葉はいやす力があり、病も死も永遠の都には入り込むことがありません。(ヨハネ4:14)

3、礼拝の民(3-4)
 聖なる都に迎えられたのは、髪を礼拝することを許された民です。ここで彼らは、神を 「顔と顔を合わせ」(1コリント13:12)て 神を仰ぎ見、ネL拝するのです。主日礼拝は、永遠の都につながる確信と希望を得る時なのです。

神の栄光が都を明るくし、小羊が都のあかりだからである。  黙示録21:23
プログラム 時間 音声
前奏 0:35
賛美:天地(あめつち)こぞりて 0:46
交読25: 詩篇73篇 1:44
主の祈り 0:59
賛美10 天地に勝る 2:49
聖書 黙示録 21:22~22:5 2:12
賛美475: まもなくかなたの 2:47
説教:聖なる都 神の国

10:00

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 9:16

賛美471: われ聞けり かなたには 3:16
頌栄63: 父御子御霊の 1:45

 

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