H25.4.28 主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「世明けに立つキリスト」
聖書の箇所  「マタイ28:16~20」
 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行って、イエスが彼らに行くように命じられた山に登った。
28:17 そして、イエスに会って拝した。しかし、疑う者もいた。
28:18 イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。
28:19 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、
28:20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

 復活のキリストは、ガリラヤの山で十一弟子たちにご自身を現され、「行って、すべての国民を弟子としなさい‥」と命令されました。十一弟子たちは教会を代表する人たちであり、この命令は、今日、キリストの教会が主から受けている命令なのです。この命令は、三つの部分からなっています。

1、復活の主の権威(18)
 復活された主は、天と地の権威者であり、その権威はすべてに及び、主の主権が及ばない世界や領域はありません。とりわけ、復活されたキリストは、神が人となり、十字架と復活によって救いを全うされた救い主としての権威を持っておられます。 (ピリピ2:6~11、エペソ1:20、22)クリスチャンと教会はこの主の権威ある命令のもとにあり、従って<伝道>は教会の本質的なわざであり、教会のなすべき本分なのです。

2、復活の主の主の命令(19~20)
「行って」 福音を携えて出て行き福音を宣べ伝え、
②信じた人に 「父と子と聖霊の名によってバプテスマを施し」、その人に聖霊が注がれ、三位の神との交わりに導かれ(1ヨハネ1:1~3)、主の体である教会の一肢体となり、奉仕を通して成長し、全き人に変えられるのです。(エペソ4:12~16)
「守るように教える」は、主の教えと訓練を受けることです。主の教えを身につけるためには訓練が必要です。主は試練や祈りや奉仕を通して私たちを訓練されます。

3-1、弟子とせよ(20)
 先のすべてのご命令の目的は、信じた者が 「主の弟子となること」 に集中しています。今日、私たちは<主の弟子>となっているでしょうか。「弟子である」ことと「弟子となる」ことは、全く違うのです。
3-2、約束(20)
 主とそのみことばに従う者(教会)に対する主の約束です。 「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」 「いつも」は「すべての日々において」 です。いろんな日がありますが、どんな剛こも、主は共におられます。

夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。  ヨハネ21:4
プログラム 時間 音声
前奏 0:24
賛美:天地(あめつち)こぞりて 0:46
交読16: 詩篇42篇 1:57
主の祈り 0:54
賛美40: ガリラヤの風かおる丘で 2:21
聖書 マタイ 28: 16~20 0:50
賛美359: 罪深きこの身を 3:53
説教:キリストと共に遣わされる

10:04

 9:58

10:03

10:03

10:03

12:15






賛美392: 主の愛の汝が内に 3:22
頌栄63: 父御子御霊の 1:38

 

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.