H25.1.1 元旦礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「
イエスと共に
聖書の箇所  「
マルコ4:35~40 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
4:35 さてその日、夕方になると、イエスは弟子たちに、「向こう岸へ渡ろう」と言われた。
4:36 そこで、彼らは群衆をあとに残し、イエスが舟に乗っておられるまま、乗り出した。ほかの舟も一緒に行った。
4:37 すると、激しい突風が起り、波が舟の中に打ち込んできて、舟に満ちそうになった。
4:38 ところがイエス自身は、舳の方でまくらをして、眠っておられた。そこで、弟子たちはイエスをおこして、「先生、わたしどもがおぼれ死んでも、おかまいにならないのですか」と言った。
4:39 イエスは起きあがって風をしかり、海にむかって、「静まれ、黙れ」と言われると、風はやんで、大なぎになった。
4:40 イエスは彼らに言われた、「なぜ、そんなにこわがるのか。どうして信仰がないのか」。

2013年、新年を迎えました。今日、元旦礼拝において、マルコ4章の「弟子たちが嵐に遭った」記事から学びます。ここから、私たちの人生について深い、いろいろな事実を学ぶことができます。

信じていても、従っていても、嵐は来る
 弟子たちはイエスのことぱに従って船に乗り込みました。しかも、自分たちが乗った船にはイエスも共におられたのです。にもかかわらず、彼らは嵐に遭いました。これは何を教えているでしようか。すなわち、たとえクリスチャンであっても、人生の苦難の嵐を避けることはできないということです。目を開いて現実の世界を見る時、どんなに一生懸命真面目に生きても、どんなに神頼みしても、私たちの人生には突風、地震、火事が訪れ、貧乏、病気、家庭の不和、誤解、死別という苦難や波にもてあそぱれます。人生、すなわち「生きる」ことには苦しみがつきまといます。だれもが一年の始めに幸多かれと願い祈ります。素朴で正直な折りです。しかし、現実は何が起こるかわからず、それを避けることはでません。しかし、私たちが、イエス・キリストに信頼するとき、このお方が生ける神として私たちの人生の苦難や試練の中でかかわってくださり、勝利をもって歩ませてくださるというのが聖書の約束です。 しかも、やがてこの苦難が終わる私たちの救いが完成する時が来ると約束されているのです。これが私たちの信仰です。
キリストは「あなたがたは、世にあっては患難があります」 (ヨハネ16:33)とはっきり言われ、
そればかりか、「貧しい人は幸いである、悲しんでいる人は幸いである、義のために迫害を受けている人は幸いである」 (マタイ5:3~12)とまで言われるのです。
キリストの福音は、苦しみに対しては目をおおい逃げ出ずことを教えるのでなく、この苦しみを変えて本当の喜びとするその秘訣を教えらえたのです。
「いつも、喜んでいなさい。たえず、祈りなさい、すべてのことについて、感謝しなさい。」
1テサロニケ5:16~18
 

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