H24.11.25主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」      「恵みへの感謝
聖書の箇所  「ルカ17章:11節-19節
 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
17:11 イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリヤとガリラヤとの間を通られた。
17:12 そして、ある村にはいられると、十人のらい病人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり、
17:13 声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った。
17:14 イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。
17:15 そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、
17:16 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。
17:17 イエスは彼にむかって言われた、「きよめられたのは、十人ではなかったか。ほかの九人は、どこにいるのか。
17:18 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」。
17:19 それから、その人に言われた、「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ」。

 主イエスは10人の重い皮膚病の人をいやされました。 しかし癒された者で主のもとに帰ってきてひれ伏し感謝をしたのは外国人であるサマリヤ人一人だけでした。病のゆえに家々地域から切り離され孤立した彼らは互いの違いを超えて共に生活していました。遠くからイエス様を認めた彼らは声を張り上げ叫びました。

1、彼らの信仰…見ないで信じる信仰
 イエスは彼らを認め「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい。」と言われました。ユダヤ人はこの病を宗教的なきよめの問題とみなし、祭司が患部を調べてきよいと宣言し、供え物をささげて社会復帰することが許されたのです。(レビ記)しかし、彼らはまだ癒されてにいません。主は「今ここで癒された者として、そのように祭司に体を見せにいきなさい。」と言われたのです。彼らは信じて祭司のところに出かけるその途上で癒されました。
「信仰とは望んでいることを確信し、まだ見ぬ事実を確認する」(ヘブル11・1)
彼らは飛び上がって喜びました。しかし、問題は癒され、喜びに溢れたその後です。

2、恵みへの感謝
 癒された十人のうち九人は、感謝するため直ちに主に帰りませんでした。彼らは決して感謝を忘れたのでなく、感謝を後回しにしたのです。それより先に、祭司に見せ宣言と儀式を終えること、家族のもとに帰り家族と喜ぶこと。次の機会にイエスに感謝しようと思ったのです、ここに大きな間違いがあります。<遅れた感謝>は、
①感謝をささげる機会を失います。
 イエスはエルサレム途上の旅にあったのです。直ちに主のもとに行かなければ機会を失い、遅れた感謝は感謝でなくなります。
②癒しが魂の救いにつながらない。
 癒しは即救いてはなく、直ちに主に帰りお言葉「汝の信仰、汝を救えり」を聞くことが救いとなるのです。
③「癒し主を知る」機会を失う。
 癒しだけ求めて癒し主を知らない信仰は、偶像礼拝につながります。主は、「癒されたのは九人であったのではないか‥」と、悲しみ嘆かれます。

 

神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか。 ルカ17:18
プログラム 時間 音声
前奏 0:39

賛美:天地(あめつち)こぞりて 0:48

交読43:詩篇136 1:25

主の祈り 0:56

賛美7:主のみいつと 2:53

聖書:ルカ17:11-19

1:11

賛美474:主がわたしの手を 2:42

説教:死後の備え

10:04

10:04

10:01

 9:58

10:10

 5:12

 

 

賛美261:流したまいし

2:38

感謝献金(富室姉) 2:43

頌栄:父御子御霊の 1:48

 

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