H24.5.27 主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」        「主の祈り(神のみこころ」

聖書の箇所1 「マタイ6章7~13」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
6:7 また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。
  彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。

6:8 だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、
  求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。

6:9 だから、あなたがたはこう祈りなさい、
   天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。

6:10 御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、
   地にも行われますように。

6:11 わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
6:12 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
   わたしたちの負債をもおゆるしください。

6:13 わたしたちを試みに会わせないで、
   悪しき者からお救いください。

主の祈りは、天の父に対する親しい呼びかけに続いて、神様との関係における3つの祈りが続きます。

1、御名を あがめさせたまえ
 「御名」とは神様のご本質であり、神様の存在を現すものです。「あがめる」とはその御存在を認め、喜び、感謝することです。「わたしは彼らをわが栄光のために創造し、これを造り、これを仕立てた」。(イザヤ43・7) 私たちの人生の目的は、神様の栄光・栄誉をほめたたえることにあります。神様のご本質は「愛」ですから、ご自身の栄光をほめたたえるために人間を造られたということは、究極的には人間が神様の栄光にあずかるためなのです。この祈りを祈りつつ、祈る私たちを通し、また神ご自身によって、その御名がいつも崇められますように・・・。

2、御国を 来たらせたまえ
 「御国」とは王国、支配という意味です。神の国が来るように祈るということは、祈る者が神様の支配の中に導かれその支配の中で生き、守られるようにという祈りです。私たちは神様に支配されるのは不自由でいやだと思います。しかし、神さまの支配は「愛の支配」ですから、本当は自由で安息を受けることなのです。しかし、私たちは神様とキリストの十字架の救いを喜びつつも、神様の支配を逃れ自分の思い通りにしたいのです。それはサタンの惑わしです。神様の支配は人間の自己中心で傲慢な支配と違い、愛と善意の支配です。その支配与るとき恵みが与えられます。ころろ砕かれ謙虚になって、自己を明け渡し、自己の支配から神様の恵みの支配に移る幸いを求めましょう。

3、みこころの 天になるごとく、地にもなさせたまえ
 「みこころ」とは、父なる神様の私たちに対する最善です。私たちはその神の最善がなかなかわからないことが多いので、いつも最善以下のことを祈っているのかもしれません。 しかし、御父は私たちを愛し、いつも最善のことをなさせたいと願っておられます。この祈りを祈るうちに導かれて神の最善が何であり、神が何を願っておられるかを知り、最善が受け取れるようになるのです。(1ヨハネ5・14~15) 

 神のみこころに聴き、求め、自分を神様にささげて「みこころがなりますように」と、積極的に祈り求めていきましょう。


 

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