H24.3.11 主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
(・聖書をもっておられる方は、今日の聖書の箇所を開いて 読んでください。)
「題」        「最も小さい者のために
「聖書の箇所」  マタイ 25:31~46

 人の子が栄光に満ちて来臨される時、正しい者とそうでない者が最終的に分けられる最後の審判が行われます。その時、世界中の全ての人は伝えられた福音をどう扱ったかによって裁かれます。さらに、キリストを信じた信仰者も、その信仰の内容が問われるのです。

1、羊と山羊と分けられる 
 パレスチナでは、羊と山羊とが一緒に飼われていました。群れているときは同じに見えますが、その性質は違います。主は来臨の時、御前に集められた人々を、牧者が羊と山羊とを分けるように右と左に分けると言われます。今は、麦と毒麦とが同じ畑に混在し、一つの網に魚と邪魔者が同居し、賢い乙女も愚かな乙女も明かりを持って花婿を待ち、同じ家の中で忠実なしもべも不忠実なしもべも、主の帰りを待っているのです。(マタイ13章、25章) しかし、終わりの日には、それらの中から、ふるい分けが行われるのです。私たちは、最後の時に“ふり分け”が行われることを覚え、主の再臨に目覚め備えることが大切です。

2、ふるい分けの決め手は何か
 それは、主にある愛に生きた生活があるかどうかです。主はその弟子たちを大きな愛によって救い、愛を知り、愛に生きるものとし、そして、愛の戒めを与えられました。
「主は私たちのために命を捨ててくださった。それによって、私たちは愛ということを知った。それゆえに、私たちもまた、兄弟のためにいのちをすてるべきである。」 1ヨハネ3:16~18
主が私たちに求められるのは、その愛に倣い愛に生きることです。主の僕の、愛ある生活です。

3、誰に対して、このような愛の業がなされるべきか
 「これらの小さな者の一人」とは誰でしょう。まず、キリストにある兄弟姉妹、神の家族とされた人々です。キリストの教会は、キリストの愛に生きる者の共同体です。主にある兄弟姉妹の、小さな一人にしたのは、キリストにしたのだと言われています。信者と主との間には、驚くべき緊密な一体があるのです。

4、ここで、取り上げられているのは、みな大きなわざではない
 「空腹の友に食べさせ、渇く者に飲ませ、旅人に宿を貸し、裸の者に着せ、病気を見舞い、獄に尋ねる」ことが言われています。みな、小さな、誰にでもできる、日常の中の愛です。あの良いサマリヤ人のように、日ごろ身に付いた愛が、機会を捕えて現れて来るのです。やがて、主の来臨に日に、主が問われるのは、キリストにある日常の愛、神の愛に生かされる者として兄弟愛、隣人愛にいかに生きてきたかが、キリスト信仰の証として問われているのです。
 終わりの時代は、愛が冷えます。皆、利己的な生き方に流されてしまうのです。しかし、聖霊により神の愛の注ぎを求め、キリストの愛に熱く生きるものとされましょう。ことあるごとに、特に兄弟姉妹に対して、愛を表すことをしていきましょう。

礼拝式: 「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。」 マタイ 25:40
プログラム 時間 音声
前奏 0:53

賛美:天地こぞりて 0:54

交読:詩篇31 1:40

主の祈り 0:52

使徒信条 1:09

賛美:救いをなし給う 3:14

聖書:マタイ 25:31-46 1:01

賛美:イエスは愛で満たす 2:36

東日本大震災に
合われた方々への祈り
6:07 目を閉じて心を合わせてお祈りください。

説教:最も小さい者のために 5:34

聖餐式:しみも咎も 2:28

賛美:弟子となしたまえ 4:00

頌栄:父御子御霊の 1:41

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