H24.2.5 主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
(・聖書をもっておられる方は、今日の聖書の箇所を開いて 読んでください。)
「題」        「神がこのところに」
「聖書の箇所」  創世記28:10~22

 ヤコブは、母のリベカと共謀して父イサクを騙し、ついに長子の特権をエサウから奪い取りました。エサウは怒ってヤコブを殺そうと決めますが、母リベカはひそかにヤコブを母の郷里パダン・アラムに逃れさせました。

1、孤独な旅 1~5,10~11
 故郷を追われるようにしてヤコブは旅に出ました。旅の途上、ヤコブは自分のしてきたこと思い起こしました。父を騙した悲しみ、母への懐かしさ、兄に対する恐れと共に自分の行ってきた悪事を思い出し、その心に初めて悔いが起こりました。過去のやってきたことへの悔い、これからどうなっていくのだろうとの将来の不安、今、誰にも何にも頼ることができない孤独な自分の姿を、まざまざと思い知らされました。これは、私たちの姿です。罪深い、寄る辺なき、孤独な人間存在こそ、神を離れた私たちの本当の姿なのです。ヤコブは、そのような自分を知らされながら、一人、石を枕にして寝ることになりました。

2、神との出会い 12~17
 悲しみと不安と孤独を胸に抱いて眠りに落ちたヤコブは、その夜一つの夢を見たのです。一つの梯子が、天から地にとどき、神の御使いたちが登り降りしています。その光景から、主がヤコブに語りかけられました。
「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である」。
この声を聞いた瞬間、ヤコブはこれまで聞いていたアブラハムの神、イサクの神が、まさに、今、ヤコブに現れて下さったことを知りました。ヤコブの霊の目が開かれ、先祖の神が、このような自分にさえ心に留めてくださり、共にいて下さると言うのです。
この神との出会いこそ、新しいヤコブの誕生の瞬間でした。

3、べテルの経験 18~22
 ヤコブは、今や、「わたしの神」となって下さった主を、畏れかしこみ、神が現れてくださったその場所に枕にしていた石を立てて、油を注ぎ、天の門と呼びました。そして、そこを「神の家」(べテル)と名付けました。
「神がわれらと共にいます」は、私たちの救いそのものです。そして、主イエスこそ、私たちのインマヌエルである神です。様々な出来事、状況の中で罪深い自分を知らされ、そこでキリストご自身を知ることこそ、私たちのべテルの経験なのです。

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