H23.11.06 主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
(・聖書をもっておられる方は、今日の聖書の箇所を開いて 読んでください。)
「題」        「神のみわざが現れるため」 
「聖書の箇所」  
 ヨハネ9:1~11
   
 道端の一人の盲人を見た弟子たちは
「この人が生まれつき盲人なのはだれが罪を犯したからですか、本人ですか、それともその両親ですか」
と問いました。イエスは
「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、かれの上に現れるためである」
と言われました。

1、昔からの問い(1~2)
因果応報は昔からどこにもあり、人生で何か理不尽なことが起こったとき説かれて来ました。しかし、これは、苦しんでいる人を
さらに苦しめる残忍で突き放した人生観を導き出します。

2、問題に関わられる神(3)   (*1:参考図書)
イエスのお答えは驚くべきものでした。
(1)因果応報論のたぐいをきっぱりと否定されました。
(2)しかし、弟子たちが期待した疑問に直接対応する答えはなさっていません。
神はすべての疑問に明快な答えを与えておられるわけではありません。神が明らかにされない疑問は疑問としてそのまま受け取め、必ず神の解決かおることを信じていく
のです。「後、知るべし」です。刺繍の裏の糸くずを見ていると混沌としてわかりませんが、その面は緻密で美しいデザインが施されています。
(3)「神のみわざが、彼の上に現れるため」‥・イエスはこの盲人の苦難に関わられます
 罪に満ちた混沌の世界を決して見捨てず、むしろかかわりを持ち、引き受ける
ため神の御子がこの世に来られました。その最後は理不尽きわまる十字架にかか、り
「わが神、わが神、どうして‥・」(マルコ15:34)
と叫んで死なれました。人生の矛盾、混沌を自ら十字架の上に引き受けられたのです。この事実こそ、神の答え
ではないでしょうか。
3、神のみわざが現れるため(3、6~7、25~38)
イエスは、盲人の目を開き霊の目を開かれました。暗闇から光へと、彼の人生を全く変えてくださいました。

*1:参考図書
なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記  H・S・クシュナー

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