H23.8.28 主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
(・聖書をもっておられる方は、今日の聖書の箇所を開いて 読んでください。)

「題」        「愛のこころみ」 
「聖書の箇所」  (旧約聖書) 創世記22:1-19 

波乱に満ちた信仰の生涯をたどってきたアブラハムでしたが、晩年になって約束の子が与えられ、これからは子の成長を楽しみつつ平穏な生活を送って終わりを迎えるばかり・・と思われた時、「イサクをささげよ!」との神のことばが臨みました。アブラハムの生涯最大の危機は、その最晩年にやって来たのです。

アブラハムの信仰と従順 
アブラハムは、「イサクをささげよ」との神の声に愕然とし、神の御心を計りかねず、愛し子を失う事態に煩悶しました。しかし、一晩を経た翌朝早く、神のことばに従うために行動を起こしました。「あなたが神を恐れるものであることを私は今知った・・あなたが私のことばに従ったからである」(15~18)と主は言われました。神はアブラハムが、最愛の一人の子をさえささげることを通して、神を愛し、「何ものをも惜しまないかどうか・・」を試みられたのです。これは<愛の聖別>でした。
また、これは<信仰の挑戦>でした。神の約束は、その一人子イサクにかかっていました。その子を失うことは、神の約束が破綻します。また、子供を人身御供として捧げる異教の習慣を、神ご自身が堅く戒めておらました。この矛盾に満ちた神の命令には、何か神の側での意図があるはずです。アブラハムは、最愛の一人子を神にささげるという、厳しい試みの中で神は最善以外のことをなさらないと信じみことばに従ったのです。

先取りの信仰  
アブラハムは、「目をあげ」、「目を凝らして見回し」(共同訳)たとき、そこに雄羊を見つけました。そして、イサクを捧げた場所を、「アドナイ・エレ」(主は備えてくださる)と名つけました。先にアブラハムは、イサクとのやりとりで「神みずから燔祭の小羊を備えて下さる」(8)と言い表しています。アブラハムの信仰は、事が解決してからではなく、試練を目前にして受け取るものです。主は今の困難な状況も、不安な心も一切を見ておられるという信頼であり、まだ自分には見えていなくても、この問題の解決は必ず主にある、主が備えておられる・・という信仰です。

父の愛への応答 
モリヤの山は、2000年後、イエス様が十字架につけられた場所でした。みことばに信頼し従うのは、私たちのため、一人子をさえ惜しまず与えられた父の愛への応答です。
「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは、御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。(ヨハネ3:16)

 

 

 

 

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