メッセージ
題: 「しるしの飼い葉桶」
聖書の箇所 「ルカの福音書2章8~20節」(新110頁)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
各地で大雨が続き、毎日のように避難警報が告知されています。警報とは、警告を目的とするが故に、テレビ、ラジオ、スマホなど、あらゆる手段をもって告知側が相手に届けようとするものです。勿論聞き逃すこともあるので、必ず全員に届く保証は無いのですが、少なくとも鳴らせば終わりというものではありません。神様が語られる応答や御言葉も同じようなもので、正しく語られたのであとはどうでもよいではないのです。私たちが有限であるからこそ、神様は御言葉が「届く」ことにこだわられます。
イエス様が生まれた夜、マリアは家畜小屋の中でたった一人、産んだ御子を布に巻き、飼い葉桶に寝かせねばならない憂き目にあっていました(7節)。あまりにも悲惨すぎる御子の有様は、少なくともマリアに取って理解に苦しむ状況であったと思われます。まさか、御子を家畜の餌箱に寝かせるのが神の御心だなどとは結論したくもなかったでしょうし、不用意にエリサベツの家に出かけたせいで、一時は夫のヨセフに離縁まで覚悟させてしまった自身の不注意という自責の材料も整っています。神様が沈黙されているかのように見えるからこそ、その静寂は、むしろマリアが自分を責めて心を痛めるのに十分な働きをするものでした。
そのようなマリアに対し、神様は本当に無言だったのでしょうか。決してそうではありません。マリアが息も絶え絶えに飼い葉桶にイエス様を寝かせていたその時、既に神様は天使を通して羊飼い達に「飼い葉桶に眠るみどりご」の存在を報せておられました。尊い御子が飼い葉桶に寝ていることを案じた羊飼い達もまた、急いで行動を開始していたのです。
羊飼い達は、必要ならば御子とマリアを助けることも視野にいれた大勢の応援でもありました。彼らからの報せを聞いた時、マリアは、少なくとも自分が神様から憎まれたり、退けられたりしているのではないと知ることが出来たのです。マリアにとって、出来事を整理して思い巡らすにはそれで十分でした。神様からの応答は、確かに彼女の心に納まったのです。
神様からの応答を把握するのには、当然時間がかかります。しかし神様は、もう話したからそれが届くかどうかはこだわらないと言われる方ではありません。むしろ、語る相手にそれが届き、理解されたどうかに非常にこだわり、それで喜ぶ私たちの姿を見て、御自身も喜ばれる方なのです。その証拠に、飼い葉桶から始まる福音のしるしもまた、私たちの心に正しく届いている筈です。だからこそ、判らない出来事が多く起こる信仰生活の中で、私たちもまた神様を信頼し、「聞く」ことを決してやめてはならないのです。