H27.3.22主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「捕えられたイエス(十字架への道)」
聖書の箇所 「マタイ26:47~56」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

26:47 そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。また祭司長、民の長老たちから送られた大ぜいの群衆も、剣と棒とを持って彼についてきた。
26:48 イエスを裏切った者が、あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、その人だ。その人をつかまえろ」と合図をしておいた。
26:49 彼はすぐイエスに近寄り、「先生、いかがですか」と言って、イエスに接吻した。
26:50 しかし、イエスは彼に言われた、「友よ、なんのためにきたのか」。このとき、人々が進み寄って、イエスに手をかけてつかまえた。
26:51 すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、その片耳を切り落した。
26:52 そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。
26:53 それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。
26:54 しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。
26:55 そのとき、イエスは群衆に言われた、「あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。
26:56 しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書いたことが、成就するためである」。そのとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。

 主がゲッセマネの祈り終えられた時、ユダに引き連れられた群衆たちが手に剣や棒をもって乗り込んできました。

1、接吻をもってイエスを裏切る弟子
  群衆の先頭に立っていたのは「イエスを裏切った者」、「12弟子のひとりのユダ」でした。暗闇の中でもイエスがわかるように、「あらかじめ私が接吻するものがそれだ」と打ち合わせていたのです。ユダは弟子と師の親しい挨拶を、裏切りのしるしとしました。「裏切り」は、人間にとって最も卑怯な行為です。主を敵に売りわたしたユダには、どういう意図があったのかわかりません。後に、「私は正しい方を死にいたらしめた」と言って、首を吊って死と滅びを選び、自分を永遠の地獄に定めました。一方、主は、ここでも「友よ、あなたは何をしにきたのか」と、最後までユダに問いかけておられます。

2、「剣を執る者は、剣によって滅びる」
 ペテロは剣を抜いて大祭司のしもべに立ち向かい男の耳を切り落としました。このペテロの行動は、主を守るため勇気を奮ったのか、それともただ怖かったのか・・。剣を振り回す者は、決して強い人間のすることではありません。主は「剣を執る者は、剣によって滅びる」と言われます。主は12軍団以上の天の軍勢を支配しておられました。主は戦うことをされず、自分から敵に捕えられることを選ばれました。それが聖書の預言が成就する道であったのです。
主イエスは、十字架の道、贖いの道、愛の道を選ばれました。

3、十字架に向われるイエス
 「立て、さあ行こう」(26:46) ゲッセマネで恐れおののきを隠さず、血の汗を流し祈られたイエス。しかし、ここではもはや一分の迷いもなく、決然として十字架に向って進もうとしておられます。
「彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。」 (へブル12:1~2) 

しかし、すべてこうなったのは、預言者たちの書いたことが、成就するためである。 マタイ26:56

プログラム 時間 音声
前奏 0:29
賛美:天地(あめつち)こぞりて 0:43
交読9 詩篇27篇 2:12
主の祈り 0:51
使徒信条 1:05
賛美18: おお御神をほめまつれ

3:03

聖書 マタイ26:47~56 2:31
賛美:105主は冠を 2:51
説教:捕えられたイエス

10:00

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賛美221:ああ主の瞳 3:23
感謝の祈り 1:23
頌栄63: 父御子御霊の 1:32

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