H26.8.10主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「神がこの所に」
聖書の箇所 「創世記28:10~20」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

28:10 さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、
28:11 一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。
28:12 時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。
28:13 そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。
28:14 あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。
28:15 わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。
28:16 ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。
28:17 そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。
28:18 ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、
28:19 その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。
28:20 ヤコブは誓いを立てて言った、「神がわたしと共にいまし、わたしの行くこの道でわたしを守り、食べるパンと着る着物を賜い、

アブラハムの祝福を受け継いだ人物がヤコブです。聖書は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼びます。このところで、ヤコブはその神を見出しました。

1、孤独な旅 (罪の醜さを発見したヤコブ) 1~5、10~11
 母と別れ、故郷を離れ、不安を抱いて一人旅をするヤコブの心中は、まことに切なくわびしいものでした。将来に対する不安が襲います。旅の途上、野宿をしながら「自分は一人である」ことを思い知らされました。「なぜ、こんなことになったのか?」ヤコブは、兄エサウの弱点を知り、一杯の煮物で長子の利権を買い取りました。母リベカと組んで、老いて目の見えない父イサクを欺き,長子の祝福を奪いました。エサウは、騙されたことを知って怒り殺意を抱きました。母は、ヤコブを兄ラバンのもとへ旅立たせました。ヤコブは家を出ましたが、罪が彼を追い出したのですヤコブは、孤独で不安でした。いまさらながら、良心の呵責で胸が疼きます。そこで、ヤコブが見たものは、罪の醜さとその結果の悲惨さです。まさに「罪から来る報酬は、死です。」(ローマ6:23) 

2、神との出会い (神の恵みを発見したヤコブ) 12~17
 ヤコブは、一つの夢を見ます。天から梯子が下り、神の御使いたちが上り下りしていました。その光景の中から、主の声が聞こえました。「わたしは あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。」聞かされていた先祖の神が今、このところでヤコブに現れてくださったのです。「わたしは一人ではなかった。罪深い愚かな自分に、神は御目を注いでくださっていた。」ヤコブは霊の目が開かれ、神を認めました。新しいヤコブの誕生の瞬間でした。ベテルの経験とは、神の恵みを発見することです。ヤコブは、初めて自分の弱さを知り、罪深い性質や悪い行いに深い悔い改めの心を持ちました。人が悪の道に走り、堕落し、落ちるところまで落ち込んだときに、そこで出会うのはさばきの神ではなく赦しの神です。

祝福を与える神、共にいて下さる神なのです。(イザヤ43:1~3)

まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった。   創世記28

プログラム 時間 音声
聖書 創世記28:10~20 1:55

説教:神がこの所に

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