*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「神は本当におられるのか」
聖書の箇所 「創世記 1:1~3」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
1:1 はじめに神は天と地とを創造された。
1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
「神の存在」についての考え方や立場は3つあります。
①神などいないとする無神論。「神」はネて申す寝言であり、神などいないし必要でもない。
「人間には何でも出来る。(B.ラッセル)」 「神は死んだ。(ニーチエ)」
②神がいるかどうかわからないとする不可知論。
③神はおられるという有神論です。
1、聖書はどういっているか「初めに神は、…」(1)
聖書冒頭のこの一句は神が存在することの説明をせず、神の存在を大前提にして語られているのです。創造主なる神がおられなくて、この世界、宇宙、地球、自然界(人間)の存在や秩序や意味はなりたたないのです。しかし、聖書は、私たちが神の存在をどこに認めることができるかについても語っています。
①自然界を通して(神の一般啓示)詩篇19:1~6、ローマ1:、2:
自然界や人間存在の中に神の創造を思い神の声を聞くのです。
②聖書を通して(神の特別啓示)IIテモテ3:16
神は人類に神のことば(聖書)を与えられました。
③ イエス・キリストによって
歴史の中にたった一度限り神が人となって現れて下さいました。「神がおられるなら、神を見せてほしい」という人々の叫びに対して、キリストは 「わたしを見た者は、父(神)を見たのだ」、「父と私は一つなのです」 と言われました。
2.人間にとって根源的な問い神の存在を問い
神を知ることは、人間(私ト理解、生き方を決める決定的な問いです。人間を始めに置くのか、神を始めに置くのかで全く異なった生き方、人生観、世界観が生まれてきます。
3、どうしたら、を認めることができるのか
人間はなぜ神がわからず、神を認めることができない理由があります。人間は罪を犯し神に背を向けた時から、神がわからず自分を神のごとく生きるようになりました。罪の根源は、神を神としないことです。ここから人間の本来の姿が狂ってしまいました。ですから、神に背を向けた生き方(罪)を止め、悔い改め、神に向かう生き方、神を中心にする生き方に立ち帰ることです。
プログラム | 時間 | 音声 |
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Ⅰ、賛美歌を歌おう | ||
(1)♪生ける限り主を賛美し | 2:58 | |
(2)♪我らの主に向かって | 2:01 | |
(3)♪スピリット・ソング | 5:22 | |
(4)私の信仰紹介 | 3:13 | |
(5)主の祈り | 0:56 | |
Ⅱ、聖書のお話し | ||
(1)神は本当におられるのか |
10:02 10:04 10:03 11:41 |
|
(2)賛美21:輝く日を仰ぐとき | 3:35 | |
(3)感謝の祈り | 1:55 | |
(4)賛美165:栄光イエスにあれ |
1:32 |