R8.4.12 礼拝式

題: 「聖霊を受けなさい」
聖書の箇所 「ヨハネの福音書20章19~30節」(新約P.228)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
19 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように。」
20 こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは主を見て喜んだ。
21 イエスは再び彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。」
22 こう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。
23 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦されます。赦さずに残すなら、そのまま残ります。」
24 十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
25 そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
26 八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
28 トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」
29 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
30 イエスは弟子たちの前で、ほかにも多くのしるしを行われたが、それらはこの書には書かれていない。

メッセージ
1,教会に来た時、私たちの周りには、様々な証言があふれています。私たちは愛されている、神の恵みがある、キリストの十字架の贖いがある、永遠のいのちがあると、それらは様々です。それらの証言には、それぞれ何故そうなるのかという説明も整えられています。それを垣間見たとき、既に信じている人にとっては神様の知恵や御業の美しさを感じる良い励ましとなるのですが、それらは未信者や求道者の人々にとっての確信とはなりません。何故でしょうか。

2,使徒やトマスは、マグダラのマリアや仲間の証言があるのに、イエス様の復活を前提に行動することができませんでした。何故なら、「復活」は証拠があったとしても受け入れ難い性質を持つものだからです。神様の知恵による救いの計画はま美しく完全なものではありますが、それを現実として本気で受け止める為には大きな困難が伴います。そして私たちは、自分の力ではその困難を克服出来ないのです。

3,どうすればこれを乗り越えられるのでしょうか。イエス様は、「聖霊を受けよ」と命じられました。イエス様の復活を現実のことと受け入れる為には、私たちが一部ではなく丸ごと新しくされる必要があります。その生まれ変わりと確信を私たちに与えて導くのが、聖霊なのです。肝心なのは、聖霊を「受けよ」と命じられていることです。信じる為に必要な全ても、神様は恵みとして与えて下さいます。私たちは、それをただ、逃げずに受け入れると決めるだけで良いのです。

 

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