R7.11.9 礼拝式

題: 「初めであり、終わりである」
聖書の箇所 「 ヨハネの黙示録 1章9~20節」(新約P.491)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
9 私ヨハネは、あなたがたの兄弟で、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている者であり、神のことばとイエスの証しのゆえに、パトモスという島にいた。
10 私は主の日に御霊に捕らえられ、私のうしろにラッパのような大きな声を聞いた。
11 その声はこう言った。「あなたが見たことを巻物に記して、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアに送りなさい。」
12 私は、自分に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。
13 また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。その方は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めていた。
14 その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。
15 その足は、炉で精錬された、光り輝く真鍮のようで、その声は大水のとどろきのようであった。
16 また、右手に七つの星を持ち、口から鋭い両刃の剣が出ていて、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
17 この方を見たとき、私は死んだ者のように、その足もとに倒れ込んだ。すると、その方は私の上に右手を置いて言われた。「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、
18 生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵を持っている。
19 それゆえ、あなたが見たこと、今あること、この後起ころうとしていることを書き記せ。
20 あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台の、秘められた意味について。七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。

1,人の子のような方
13~15節「また、その燭台の真ん中に、人の子のような方が見えた。その方は、足まで垂れた衣をまとい、胸に金の帯を締めていた。その頭と髪は白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は燃える炎のようであった。その足は、炉で精錬された、光り輝く真鍮のようで、その声は大水のとどろきのようであった。」
イエス様の御姿が記されています。頭と髪の白さは聖さを、目の燃える炎は全てを見通す目を、足の光り輝く真鍮はこの世のあらゆる権力をはるかに超えた権威をもっておられることを現しています。

2,初めであり、終わりである
17~18節「恐れることはない。わたしは初めであり、終わりであり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、世々限りなく生きている。また、死とよみの鍵をもっている。」
「初めであり、終わりであり」とは、私たちの創造者であり完成者であることを宣言しています。このお方は、死とよみの鍵をもち、私たちを滅びから救う力をもっておられます。

3,七つの教会の御使いたち
19~20節「それゆえ、あなたが見たこと、今あること、この後起ころうとしていることを書き記せ。あなたがわたしの右手に見た七つの星と、七つの金の燭台の、秘められた意味について。七つの星は七つの教会の御使いたち、七つの燭台は七つの教会である。」
七つの教会は地上のすべての教会を指しています。私たちはイエス様の救いを信じ見た者として、イエス様の聖さと権威によって遣わされ、救いの働きを伝えましょう。

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