R7.10.5 礼拝・聖餐式

題: 「働かれる神様」
聖書の箇所 「ヨハネ福音書5章1~18節」(新約P.184)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
2 エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。
3 その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。
5 そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。
6 イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」
7 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」
8 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」
9 すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。
10 そこでユダヤ人たちは、その癒やされた人に、「今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない」と言った。
11 しかし、その人は彼らに答えた。「私を治してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と私に言われたのです。」
12 彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け』とあなたに言った人はだれなのか。」
13 しかし、癒やされた人は、それがだれであるかを知らなかった。群衆がそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。
14 後になって、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたは良くなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないと、もっと悪いことがあなたに起こるかもしれない。」
15 その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を治してくれたのはイエスだと伝えた。
16 そのためユダヤ人たちは、イエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。
17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」
18 そのためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っていただけでなく、神をご自分の父と呼び、ご自分を神と等しくされたからである。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」

1,いのちを与えられるイエス様
7~9節「イエスは彼に言われた。『起きて床を取り上げ、歩きなさい。』すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。」
38年病気にかかっている人は、希望を失いかけていました。そのような力なき者をイエス様は癒やされ、立ち上がる力を与えてくださいます。「起きて」は、よみがえると訳すこともできることばです。イエス様はよみがえりのいのちをもって、私たちを立ち上がらせてくださいます。

2,罪を犯してはなりません
13~14節「しかし、癒やされた人は、それがだれであるかを知らなかった。群衆がそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。後になって、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。『見なさい。あなたは良くなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないと、もっと悪いことがあなたに起こるかもしれない。』」
癒やされた人はイエス様から「罪を犯してはなりません」と告げられます。罪とは神様から離れて生きることです。ところがこの人は、さらにイエス様を受け入れて近づこうとはしないで、ユダヤ人を恐れてイエス様のことをユダヤ人たちに告げます。

3,働かれる神様
17節「 イエスは彼らに答えられた。『わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。』」
神様が働かれるのは、癒やされたのに、イエス様を受け入れようとしない人や、律法によって自分が正しくあることに固守して、イエス様を認めない人たちのためです。神様の愛による働きによって、私たちは罪から救われるのです。神様の愛の働きを喜び感謝しましょう。

 

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