R6.10.13 礼拝式

題: 「いのちを満たすもの」
聖書の箇所 「ルカの福音書12章13~21節」(新約P.141)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
13 群衆の中の一人がイエスに言った。「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言ってください。」
14 すると、イエスは彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停人に任命したのですか。」
15 そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
16 それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
17 彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』
18 そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。
19 そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』
20 しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
21 自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」

1,いのちは財産によらない
15節「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
貪欲は、神様から与えられたもので満足できないという不信仰につながる危険な思いです。また財産と訳されている言葉は金銭的な財産に限らず、能力なども含みます。金銭や能力に満たされるなら、豊かな人生を送ることができるという考えは幻想でしかありません。

2,愚かな金持ち
19節「そして、自分のたましいにこう言おう。『わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。』」
金持ちは他人に施す愛が欠如していました。神様への感謝もありませんでした。それなのに、自分のいのちが満たされたと思い込んでいます。貪欲は、いのちが空っぽであることに気づかないどころか、満たされていると勘違いさせる、愚かで恐ろしい過ちを引き起こします。

3,神に対して富まない者
20~21節「しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のために蓄えても、神に対して富まない物はこのとおりです。」
いのちを満たすことがおできになるのは神様ただおひとりです。自分の力でいのちを満たすことができると思う傲慢な心では、神様の恵みを受け取ることができません。御子を犠牲にされて私たちにいのちを与えてくださる神様の恵みを、謙遜な心で受け取りましょう。

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