R2.12.27 年末感謝礼拝式

「題」 「主の恵みはとこしえまで
聖書の箇所 「詩篇118篇1~6節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
118:1 主に感謝せよ、主は恵みふかく、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
118:2 イスラエルは言え、
「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と。
118:3 アロンの家は言え、
「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と。
118:4 主をおそれる者は言え、
「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と。
118:5 わたしが悩みのなかから主を呼ぶと、
主は答えて、わたしを広い所に置かれた。
118:6 主がわたしに味方されるので、
恐れることはない。
人はわたしに何をなし得ようか。

1、とこしえに絶えない恵み
1節「主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」。
主の恵みといつくしみは、わたしたちが受けるにふさわしい者だから与えられるのではありません。それは聖書が証言しています。どんなにイスラエルが不信仰に陥っても、主の恵みは絶えることがありませんでした。主の恵みがとこしえまで約束されていることを信じて、主に感謝しましょう。

2、羊を愛する牧者としての恵み
5節「わたしが悩みのなかから主を呼ぶと、主は答えて、わたしを広い所に置かれた」。
羊にとっては、広い牧草地に導かれることが恵みです。荒野の多いイスラエルの地で広い牧草地を見つけ出すことは、とても難しいことです。主は羊を愛する牧者のようにわたしたちを愛しあわれみ、わたしたちのために広い祝福の地に導いてくださいます。わたしたちは、ただ主を信頼して、その後に従えばいいのです。

3、復活によって明らかにされる恵み
6節「主がわたしに味方されるので、恐れることはない。人はわたしに何をなし得ようか」。
22 節に「家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった」とあります。イエス様は十字架で捨てられたかに見えましたが、主は復活によって救いのかしら石とされ、主の恵みは死の力にも打ち勝つことを明らかにされました。主の復活を信じる者は、どんなこの世の力も引き離すことができない主の愛に満たされて、恐れから解放されて生きる者とされます。

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