R2.4.12 イースター召天者記念礼拝式

「題」 「なぜ泣いているのか」
聖書の箇所 「ヨハネによる福音書20章11~18節」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
20:11 しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、
20:12 白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。
20:13 すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。
20:14 そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。
20:15 イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。
20:16 イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。
20:17 イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。
20:18 マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。

1、悲しみの中に立たれるお方
13~14 節「マリヤは彼らに言った、『だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです』。そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった」。
マリヤはイエス様に気がつかないほど、悲しみの中に沈んでいます。イエス様はその深い悲しみの中に立つことのできるお方です。そして静かに、悲しみの中にある者を慰めてくださいます。

2、悲しみを受け止められるお方
15 節「イエスは女に言われた、『女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか』。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、『もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがその方を引き取ります」。
「なぜ泣いているのか」それは悲しみを否定することばではなく、悲しみを受け止めることばです。イエス様ご自身、深い悲しみを経験されたお方なので、わたしたちの悲しみを理解し受け止めてくださいます。

3、悲しむ者に希望を与えるお方
16~17 節「イエスは彼女に『マリヤよ』と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で『ラボニ』と言った。それは、先生という意味である。イエスは彼女に言われた、『わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから』」。
「さわってはいけない」は「すがりついてはいけない」という意味です。地上のことにすがりつくマリヤに、イエス様は天国の、復活のいのちの恵みに目を向けさせ、希望を与えてくださいます。

 

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