*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「真の安息」
聖書の箇所 「マタイ11:28」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
11:28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
「安息」「平安」「平和」は、聖書(旧約)では「シャローム」です。完全、健康、安全、繁栄、幸福、救いを意味します。シャロームは、人の関係の中に存在し、人格の中に満ちますから、人は物質や環境で満たされることはありません。ここに一つの招きがあります。それは、暖かで真実な人格者の愛の招きです。罪の中に、楽しみの中に、権力の中にあってなお平安が無く彷徨うすべての人に「あなたがたを休ませてあげよう」と招いておられます。
1、イエス・キリストの上に安息する
主イエスは、山上の説教で2つの家について語られました。2人の建築家が財と時間を費やし自分の家を建てます。その家は立派に出来上がり、少しも差があるとは見えません。雨期に入って大暴風雨が襲い2軒の家を激しく打ちつけました。その時、2つの家に大きな差が生じます。一つは無残にも家が根こそぎ倒され、もう一つの家は毅然と洪水にもビクともせずに立っています。それは<土台>が違っていたのです。一つの家は、土台を全く無視し、砂の上に建てられ、もう一つの家は土台を考えて砂地を堀り岩の上に建てられていたのです。家の倒れるのも倒れないのも、見かけでなくその土台に原因していたのです。イエス・キリストの上に安息するということは、人生の土台、平安の土台を、岩なるイエス・キリストに置くことです。やがて来る大嵐に備えて主イエスとその贖いのみわざの上に全く信頼することです。
2、イエス・キリストの中に安息する
これは、「人が、その家の中に住む」ように、主の完全な守りの内に安んじることです。主イエスが共におられることを現実に意識することによって、さらに深い安息がわたしたちの魂の中に入ってくることです。
「とこしえにいます神はあなたのすみかであり、下には永遠の腕がある」(申命記33:27)
主は語られます。
「わたしはあなたを嵐のない世界に連れていくことを約束しません。また、あなたに嵐が吹き寄せないのでもありません。あなたにもやはり嵐は吹くでしょう。しかし、その時には、嵐とあなたの間に、わたしが入ります。あなたは、わたしにあって平安なのです。」