H29.1.8主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「試練の中の賛美」
聖書の箇所 「ヨブ記 1:1~22」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
1:1 ウヅの地にヨブという名の人があった。そのひととなりは全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかった。
1:2 彼に男の子七人と女の子三人があり、
1:3 その家畜は羊七千頭、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭で、しもべも非常に多く、この人は東の人々のうちで最も大いなる者であった。
1:4 そのむすこたちは、めいめい自分の日に、自分の家でふるまいを設け、その三人の姉妹をも招いて一緒に食い飲みするのを常とした。
1:5 そのふるまいの日がひとめぐり終るごとに、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別し、朝早く起きて、彼らすべての数にしたがって燔祭をささげた。これはヨブが「わたしのむすこたちは、ことによったら罪を犯し、その心に神をのろったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつも、このように行った。

1:6 ある日、神の子たちが来て、主の前に立った。サタンも来てその中にいた。
1:7 主は言われた、「あなたはどこから来たか」。サタンは主に答えて言った、「地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました」。
1:8 主はサタンに言われた、「あなたはわたしのしもべヨブのように全く、かつ正しく、神を恐れ、悪に遠ざかる者の世にないことを気づいたか」。
1:9 サタンは主に答えて言った、「ヨブはいたずらに神を恐れましょうか。
1:10 あなたは彼とその家およびすべての所有物のまわりにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。
1:11 しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
1:12 主はサタンに言われた、「見よ、彼のすべての所有物をあなたの手にまかせる。ただ彼の身に手をつけてはならない」。サタンは主の前から出て行った。
1:13 ある日ヨブのむすこ、娘たちが第一の兄の家で食事をし、酒を飲んでいたとき、
1:14 使者がヨブのもとに来て言った、「牛が耕し、ろばがそのかたわらで草を食っていると、
1:15 シバびとが襲ってきて、これを奪い、つるぎをもってしもべたちを打ち殺しました。わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました」。
1:16 彼がなお語っているうちに、またひとりが来て言った、「神の火が天から下って、羊およびしもべたちを焼き滅ぼしました。わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました」。
1:17 彼がなお語っているうちに、またひとりが来て言った、「カルデヤびとが三組に分れて来て、らくだを襲ってこれを奪い、つるぎをもってしもべたちを打ち殺しました。わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました」。
1:18 彼がなお語っているうちに、またひとりが来て言った、「あなたのむすこ、娘たちが第一の兄の家で食事をし、酒を飲んでいると、
1:19 荒野の方から大風が吹いてきて、家の四すみを撃ったので、あの若い人たちの上につぶれ落ちて、皆死にました。わたしはただひとりのがれて、あなたに告げるために来ました」。
1:20 このときヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、
1:21 そして言った、

「わたしは裸で母の胎を出た。
また裸でかしこに帰ろう。
主が与え、主が取られたのだ。
主のみ名はほむべきかな」。
1:22 すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかった。

 人生の最大の問題の一つは<苦難>です。人には試練が臨み、苦難を背負います。ヨブ記は、「ヨブ」という一人物に焦点を当て、全編、人間の苦難について記された書です。ヨブ記は「人はなぜ苦しみにあうか」を説明している書(人生の苦難の原因、苦難の意味の解明)ではなく、「苦難に遭った時、どういう態度をとるべきなのか」を教えています。ヨブの会った苦難は、人が人生で体験する最も過酷なものです。ヨブの大切なもの一切が、容赦なく、次々に奪い取られました。神をのろって当然と思える状況で、ヨブは「わたしは<裸>で母の胎を出た、また、<裸>でかしこにかえろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と叫んだのです。苦難の中でへりくだり、神の主権を認め、神を礼拝し賛美しました。

1、ヨブの苦難の特徴は<義人の苦難>
悪い者が悪の報いとして苦しみにあうことは、神の義を現し納得があります。しかし、義人に苦難が及ぶことは理解しがたく「因果応報」という考えも生まれます。しかし、現実には、悪い者にも良い者にも苦難は来ます。ヨブはその最たる人です。ですから、苦難や試練は、罪の結果ではないということです。ヨブ記1章、2章には、苦難が主なる神の許しの中で、サタンが人を試みるため働きかけたものであると説明されています。

2、神の恵みは十分(2コリ12:9)
人は、試練の中で神の恵みが十分であることを知ることができます。ヨブ記の結論は、ヨブが神の前で自分の無知を告白し、神の全能と絶対性を認め、ひれ伏すところで終わります。その時、ヨブは失ったものを豊かに回復され、以前にまさる祝福の生涯を導かれます。(ヤコブ5:11)義人中の義人イエス様が、なぜ十字架で苦しまれたのか、この不思議を考えてみる必要があります。どんな境遇の中でも、キリストにあって神の愛と真実、恵みを知ることが出来るのです。

 

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