R7.10.12 礼拝式

題: 「信じる者が受ける聖霊」
聖書の箇所 「ヨハネ福音書7章37~39節」(新約P.)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」
39 イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。

1,だれでも来なさい
37節「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立ち上がり、大きな声で言われた。『だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさ い 。』 」
仮庵の祭りは、かつてイスラエルが荒野で仮住まいの旅をしていたことを思い起こさせるものです。イエス様の招きは、地上での仮住まいをする者への天の永遠の住まいへの招きです。この恵みは「だれでも」与えられます。イエス様の招きによって、信仰をもつことができます。

2,信じる者が受けるいのち
38節「わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れるようになります。」
イエス様が与えてくださる永遠のいのちは、信じる者が受けることができます。聖書の「信じる」は、信頼して自分自身を全面的に委ねるという意味です。まず、イエス様が自分自身を全面的に委ねて人の姿となられ、いのちをも与えてくださいました。イエス様の真実な愛によって、私たちは信仰に導かれ、いのちを受けることができます。

3,信じる者が受ける聖霊
39節「 イエスは、ご自分を信じる者が受けることになる御霊について、こう言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ下っていなかったのである。」
イエス様の真実な愛の姿が私たちに対して明らかにされたのは、十字架によってです。聖霊は十字架のイエス様によって、イエス様の招きと天の永遠の住まいの約束が私たちに与えられていることを悟らせます。聖霊を受けることによって、私たちはイエス様を信じることができます。

 

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