題: 「義と認められる人」
聖書の箇所 「ルカの福音書18章9~14節」(新約P.155)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
9 自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。
10 「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。
11 パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。
12 私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
13 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
14 あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」
1,パリサイ人の祈り
11~12節「パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』」
祈りは神様との交わりです。ところがパリサイ人の体は神様の方を向いているように見えて、その心と言葉は、他人との比較や自分の行いが中心で、神様と向き合っているように思えません。
2,取税人の祈り
13節「一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』」
一方、取税人の体は神様から離れているように見えます。しかしその心と言葉は、熱心に神様を求めていました。そして率直に、自分が罪人であることを告白しました。体は遠く離れているようでも、心は神様のとても近くにあり、神様と向き合っていました。
3、義と認められる人
14節「あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」
パリサイ人は自分のことを義と認める祈りをしました。取税人は自分が罪人であることを認めながら、神様が覆してくださるように祈りました。結果、パリサイ人は義と認められず、取税人が義と認められました。私たちの心は取税人のように神様と向き合っているでしょうか。