R6.10.20 礼拝式

題: 「いのちを満たすもの」
聖書の箇所 「ルカの福音書14章25~35節」(新約P.148)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
25 さて、大勢の群衆がイエスと一緒に歩いていたが、イエスは振り向いて彼らに言われた。
26 「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。
27 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。
28 あなたがたのうちに、塔を建てようとするとき、まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、費用を計算しない人がいるでしょうか。
29 計算しないと、土台を据えただけで完成できず、見ていた人たちはみなその人を嘲って、
30 『この人は建て始めたのに、完成できなかった』と言うでしょう。
31 また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えようと出て行くときは、二万人を引き連れて向かって来る敵を、一万人で迎え撃つことができるかどうか、まず座ってよく考えないでしょうか。
32 もしできないと思えば、敵がまだ遠くに離れている間に、使者を送って講和の条件を尋ねるでしょう。
33 そういうわけで、自分の財産すべてを捨てなければ、あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません。
34 塩は良いものです。しかし、もし塩が塩気をなくしたら、何によってそれに味をつけるのでしょうか。
35 土地にも肥やしにも役立たず、外に投げ捨てられます。聞く耳のある者は聞きなさい。」

1,自分の十字架を負う
26~27節「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」
イエス様の弟子になるとは、イエス様とともに生きる者になるということです。「憎む」は、「他のもう一方より愛さない」というユダヤ人的表現です。家族や自分のいのち以上に、イエス様の十字架を人生のよりどころとすることを、イエス様は求めておられます。

2,土台を据えただけで完成できない
28節「あなたがたのうちに、塔を建てようとするとき、まず座って、完成させるのに十分な金があるかどうか、費用を計算しない人がいるでしょうか。」
「塔を建てる」は、人生設計を考え実行すると言い換えることができると思います。罪からの救いという人生の土台を据えたものの、完成に至らなかったという人は、少なくありません。完成に至るまで、腰を据えてイエス様の救いにより頼み、生きていきましょう。

3,自分の財産を捨てる
33節「そういうわけで、自分の財産すべてを捨てなければ、あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません。」
罪の力には勝つことができないとあきらめてはいけません。人にはできないからこそ、イエス様の救い、聖霊の助けを求めるのです。自分の財産を捨てるとは、自分のもっているもので勝利することを放棄して、イエス様の十字架を掲げて生きることを選びましょう。

 

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