R5.3.5 礼拝式

「題」 「豊かな実を結ぶ」
聖書の箇所 「ヨハネの福音書12章20~28節」(新約P.209)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
20 さて、祭りで礼拝のために上って来た人々の中に、ギリシア人が何人かいた。
21 この人たちは、ガリラヤのベツサイダ出身のピリポのところに来て、「お願いします。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。
22 ピリポは行ってアンデレに話し、アンデレとピリポは行って、イエスに話した。
23 すると、イエスは彼らに答えられた。「人の子が栄光を受ける時が来ました。
24 まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。
25 自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。
26 わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいるところに、わたしに仕える者もいることになります。わたしに仕えるなら、父はその人を重んじてくださいます。」
27 「今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ、この時からわたしをお救いください』と言おうか。いや、このためにこそ、わたしはこの時に至ったのだ。
28 父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしはすでに栄光を現した。わたしは再び栄光を現そう。」

1、イエス様が栄光を受ける時
23 節「すると、イエスは彼らに答えられた。『人の子が栄光を受ける時が来ました。』」
ギリシア人がイエス様を求めて来たのを知ったイエス様は、「栄光を受ける時が来ました」と答えます。「栄光を受ける時」とは、十字架の時、救いの道が開かれる時です。「栄光」とは神様の尊厳の現れです。御子をも私たちのために犠牲にされた大いなる愛こそが、神様の栄光です。

2、一粒の麦
24 節「まことに、まことに、あなたがたに言います。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。」
神の御姿であられながら、神としてのあり方を捨てられ、人となって十字架にまで架かられたイエス様こそ、「一粒の麦」です。イエス様は私たちすべての者に永遠のいのちの実が結ばれるために、私たちを愛し、「一粒の麦」となってくださいました。

3、永遠のいのちに至る道
25 節「自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世で自分のいのちを憎む者は、それを保って永遠のいのちに至ります。」
イエス様は私たちのうちに「一粒の麦」として宿られることによって、永遠のいのちを与えてくださいます。私たちが一粒の麦であるイエス様にならって自分自身を明け渡すならば、罪から解放されてイエス様とひとつにされ、永遠のいのちに生きる者とされるのです。

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