R4.12.25 クリスマス礼拝式

「題」 「ひとり子を与える愛」
聖書の箇所 「ヨハネの福音書3章16~21節」(新約P.180)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。
19 そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。
20 悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。
21 しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。

1,ひとり子を与える愛
16 節「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」
与えるということばは、所有権を明け渡すという意味があります。唯一の、そして最も大切な存在であるひとり子を、神様は完全に明け渡されました。それほどまでに、私たちを愛してくださるのです。しかも、私たちが神様から離れ、背いているにもかかわらず、ひとり子を与えてくださるほど、その愛はすべてにまさる力があります。

2,永遠のいのち
16 節「それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
神様に造られ、いのちを与えられた私たちは、神様から離れたままでいのちを満たすことはできません。このままでは、私たちは滅びの中にあります。しかし神様は一人として滅びることを望まれませんでした。そして御子によって、私たちに永遠のいのちを、決して絶えることのない愛の交わりによるいのちの満たしを与えてくださいます。

3,真理を行い、光に向かう
21 節「しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。」
イエス様による光は、私たちの罪を明らかにします。多くの人はそのことを嫌い、光の方に来ません。しかし、神様がさばくためではなく、救うために御子を遣わされたことを信じる者は、救いの光を受け入れることができます。そして神様にあってなされたことが明らかにされるように、イエス様の愛を証しする光の子とされます。

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