R4.8.7 礼拝・聖餐式

「題」 「義と認められる人」
聖書の箇所 「ルカの福音書18章9~14節」(新約P.155)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
9 自分は正しいと確信していて、ほかの人々を見下している人たちに、イエスはこのようなたとえを話された。
10 「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。
11 パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。
12 私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』
13 一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』
14 あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」

1、自分は正しいと確信している人
11~12 節「パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食をし、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』」
「心の中で」は直訳すると「自分自身に対して」です。パリサイ人は神様にではなく、自分のために祈り、感謝しています。また、神様に対してどうあるかではなく、人と比べてどうあるかを語っています。

2、私をあわれんでください
13 節「一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』」
一方、取税人は神様に誇るべきものは何もないかのようでした。彼は自分が罪人であることを認め、ただ「あわれんでください」と祈ります。「あわれんでください」とは、贖ってくださいという意味もあります。自分ではどうすることもできないと認め、神様に救いを求めました。

3、義と認められた人
14 節「あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」
「義と認められる」とは、神様との関係が正しくあることです。パリサイ人のように、自分で自分を認める者は、神様の贖いを受けることができません。取税人のようにありのままの自分を告白する者が、神様の贖いを受け、神様との関係が回復されて正しい人とされるのです。

 

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