「題」 「主を信じた人は幸い」
聖書の箇所 「ルカの福音書1章39~56節」(新約P.108)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
39 それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。
40 そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。
41 エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。
42 そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。
43 私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。
44 あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。
45 主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」
46 マリアは言った。
「私のたましいは主をあがめ、
47 私の霊は私の救い主である神をたたえます。
48 この卑しいはしために
目を留めてくださったからです。
ご覧ください。今から後、どの時代の人々も
私を幸いな者と呼ぶでしょう。
49 力ある方が、
私に大きなことをしてくださったからです。
その御名は聖なるもの、
50 主のあわれみは、代々にわたって
主を恐れる者に及びます。
51 主はその御腕で力強いわざを行い、
心の思いの高ぶる者を追い散らされました。
52 権力のある者を王位から引き降ろし、
低い者を高く引き上げられました。
53 飢えた者を良いもので満ち足らせ、
富む者を何も持たせずに追い返されました。
54 主はあわれみを忘れずに、
そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
55 私たちの父祖たちに語られたとおり、
アブラハムとその子孫に対するあわれみを
いつまでも忘れずに。」
56 マリアは、三か月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。
57 さて、月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。
1、主を信じた人は幸い
45 節「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」
「不可能なことは何もありません」と語られた主によって、マリアもエリサベツも、特別な子を宿しました。それは喜びだけではありません。2人にはこれから多くの困難が予測されます。それでも「幸いです」と告白できるのは、主を信じ続けているからです。子が与えられたという結果によるのではなく、主を信じる信仰によって幸いとされるのです。
2、主を賛美する心
46~47 節「マリアは言った。『私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。』」
「あがめ」は直訳すると「大きくする」です。マリアは主の母となるからと自分を大きくせず、実現される主が大いなるお方と賛美します。私たちが主以外の何か、自分自身の責任や、この世の問題などを大きくしてしまうなら、幸いはありません。主は何よりも、死の力よりも大いなるお方です。主をあがめ、賛美する者は幸いです。
3、主のあわれみ
49~50 節「力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。」
結婚前のマリアも、不妊と言われていたエリサベツも、当時の社会では小さな存在でした。しかし主は2人をなくてはならない、価値ある者としてくださいました。主は私たちをもあわれみ、神の子、聖霊の宮という価値ある者とされます。なんと幸いなことでしょうか。