H31.2.24主日礼拝

「題」 「イエス様の決意」
聖書の箇所 「ルカによる福音書9章51~62節 」
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
9:51 さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので、エルサレムへ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ、
9:52 自分に先立って使者たちをおつかわしになった。そして彼らがサマリヤ人の村へはいって行き、イエスのために準備をしようとしたところ、
9:53 村人は、エルサレムへむかって進んで行かれるというので、イエスを歓迎しようとはしなかった。
9:54 弟子のヤコブとヨハネとはそれを見て言った、「主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか」。
9:55 イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった。
9:56 そして一同はほかの村へ行った。
9:57 道を進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。
9:58 イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」。
9:59 またほかの人に、「わたしに従ってきなさい」と言われた。するとその人が言った、「まず、父を葬りに行かせてください」。
9:60 彼に言われた、「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、出て行って神の国を告げひろめなさい」。
9:61 またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください」。
9:62 イエスは言われた、「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである」。

1、イエス様の決意
 51節「さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので、エルサレム
へ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ」
「日が近づいた」は直訳すると「日が満たされた」です。この前後に
記されている弟子たちの姿を見ますと、日が満たされたとは思えません。
しかし、イエス様は決意され、顔を真っ直ぐエルサレムに向け、十字架
に向かって進まれます。祈ることにより、状況に惑わされることなく、
神様のみこころに従う者でありたいと願います。
2、弟子たちをしかられる
 54~55 節「弟子のヤコブとヨハネはそれを見て言った、『主よ、いか
がでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めまし
ょうか』イエスは振りかえって、彼らをおしかりになった」。
ヤコブとヨハネはサマリヤ人に報復を与えることを提案します。すぐ
さまイエス様は振りかえられ、彼らをしかられます。
イエス様の弟子として従う者は、裁きと報復を願う者ではなく、愛と
ゆるしを与える者であるべきです。
3、神の国を第一に
 60節「その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい。あなたは、
出て行って神の国を告げひろめなさい」。
イエス様は「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である」
と言われます。イエス様はどこまでも魂の救いの働きを優先されます。
わたしたちは第一にすべきことを第一としているでしょうか。後ろを見
るものではなく、神の国を仰ぎ望む者となりましょう。

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