H29.8.20主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「悪を良きに変える神様」
聖書の箇所 「創世記50章15~21節」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
50:15 ヨセフの兄弟たちは父の死んだのを見て言った、「ヨセフはことによるとわれわれを憎んで、われわれが彼にしたすべての悪に、仕返しするに違いない」。
50:16 そこで彼らはことづけしてヨセフに言った、「あなたの父は死ぬ前に命じて言われました、
50:17 『おまえたちはヨセフに言いなさい、「あなたの兄弟たちはあなたに悪をおこなったが、どうかそのとがと罪をゆるしてやってください」』。今どうかあなたの父の神に仕えるしもべらのとがをゆるしてください」。ヨセフはこの言葉を聞いて泣いた。
50:18 やがて兄弟たちもきて、彼の前に伏して言った、「このとおり、わたしたちはあなたのしもべです」。
50:19 ヨセフは彼らに言った、「恐れることはいりません。わたしが神に代ることができましょうか。
50:20 あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。
50:21 それゆえ恐れることはいりません。わたしはあなたがたとあなたがたの子供たちを養いましょう」。彼は彼らを慰めて、親切に語った。

1、罪の苦しみ
 17節「今どうかあなたの父の神に仕えるしもべらのとがをゆるしてください」。
ヨセフが兄弟たちとエジプトで再会したのは17年前です。ヨセフはすでに兄弟たちを心からゆるしていましたが、兄弟たちはずっとヨセフの仕返しを恐れていました。罪の苦しみは自分の口で告白してゆるしを受けることなしには、決して消えることがないのです。 

2、神様に代わることはできない
 19節「恐れることはいりません。わたしが神に代わることができましょうか」。
アダムとエバは「神のように善悪知る者となる」こと、つまり神様に取って代わることを願った結果でした。それが創世記の最後に「神に代わることができましょうか」との言葉があるのは印象的です。
創世記は、そして聖書全体は「人は神に代わることができない」ことを教え、救いは神様によってなされることを示しています。

3、悪を良きに変える神様の愛
20節「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました」。神様が悪を良きに変らせたのは、ヤコブの兄弟たちだけにではなく、アダムとエバから始まった悪の歴史に対してでもあります。御子を犠牲にされてまで悪を良きに変らせてくださり、すべての人を救おうとされる神様のご計画を信じましょう。

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