H29.6.4主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「御霊の実」
聖書の箇所 「ガラテヤ人への手紙5章16~26節」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

5:16 わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
5:17 なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。
5:18 もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。
5:19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、
5:20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、
5:21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
5:23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
5:24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
5:25 もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。
5:26 互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。
1、肉の働き
ここでの「肉」とは罪の座と言われるものです。そしてその働きは「明確である」と断言されています。肉の働きは御霊に反して、罪と滅びが明確にされます。
また、肉の働きが「実」とされていないのは、どんなによく見える行いであったとしても、肉の働きは実を結ぶことができず、朽ちるものしか生み出すことができないからです。
2、御霊の実
「実」は他者に与えられ、他者を潤すものです。御霊の実は、人間的な働きから生み出されるのではなく、聖霊によって結ばれます。
そしてこの「実」は単数形です。ですからある人には愛の実、ある人には喜びの実というように結ばれるのではなく、「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制」がひとりの人に結ばれていくのです。
御霊の実は愛から結ばれていきます。聖書が語る愛は、感情ではなく強い意志です。それは、困難に置かれても、強い意志によって愛の行動を起こす人となるということです。
3、キリスト・イエスに属する人
キリストに属するとは、キリストのものとされているということです。イエス様は神と等しくあることを捨てられ、わたしたちと同じ姿になられました。それは、わたしたちの肉の思い、神様から離れようとする悪しき思いを、すべて十字架によって葬り去るためです。
キリストのものとされていることを信じ受け入れる者には、イエス様への愛によって御霊の実が結ばれていくのです。

 

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