H28.3.27主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「よみがえられたキリスト」
聖書の箇所 「ルカ24:1~12」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
24:1 週の初めの日、夜明け前に、女たちは用意しておいた香料を携えて、墓に行った。
24:2 ところが、石が墓からころがしてあるので、
24:3 中にはいってみると、主イエスのからだが見当らなかった。
24:4 そのため途方にくれていると、見よ、輝いた衣を着たふたりの者が、彼らに現れた。
24:5 女たちは驚き恐れて、顔を地に伏せていると、このふたりの者が言った、「あなたがたは、なぜ生きた方を死人の中にたずねているのか。
24:6 そのかたは、ここにはおられない。よみがえられたのだ。まだガリラヤにおられたとき、あなたがたにお話しになったことを思い出しなさい。
24:7 すなわち、人の子は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」。
24:8 そこで女たちはその言葉を思い出し、
24:9 墓から帰って、これらいっさいのことを、十一弟子や、その他みんなの人に報告した。
24:10 この女たちというのは、マグダラのマリヤ、ヨハンナ、およびヤコブの母マリヤであった。彼女たちと一緒にいたほかの女たちも、このことを使徒たちに話した。
24:11 ところが、使徒たちには、それが愚かな話のように思われて、それを信じなかった。
24:12 ペテロは立って墓へ走って行き、かがんで中を見ると、亜麻布だけがそこにあったので、事の次第を不思議に思いながら帰って行った。

今年のイースターを迎え、改めてキリストの復活について思いを巡らせて復活が確かな出来事であり私たちのキリスト信仰の土台であることを確認したいと願います。

1、キリストは死から甦られた
出来事としてのキリストの復活 復活されたキリストに最初にお会いしたのはマグダラのマリヤをはじめ主に従い仕えてきた女たちでした。キリストの復活が弟子たちにはいかに唐突に思えたか、想定外の出来事で混乱や戸惑い不信があったことがありのまま記録されています。最初の復活顕現から40日に渡ってキリストは弟子たちに現れ続けたのでなく、現れて消えることを繰り返されました。やがて主は彼らの目から見えなくなるそのとき、弟子たちが生き生きとした復活信仰を持つことが出来るためでした。見えるときも見えないときもキリストは生きておられます。最早疑うことが出来なくされた彼らは、復活の証人となりました。私たちは今、目で見ることが許されませんが、見た人々の確かな証言を聞いて信じています。

2、復活信仰をもたらすもの
①空の墓
女たちが墓に着くと墓を塞ぐ石が取り除かれていました。墓は空であり、み使いがキリストが甦られたと伝えました。
②みことば
女たちは主の語られらことばを「思い返し」ます。空の墓を見、主が語らっておられた<みことばを思い起こす>ことによって信じたのです。
③復活の主を拝する
信仰にはみことばと共に働く信仰の体験が伴います。

3、復活信仰(に生きる
甦られたキリストは生きておられる
「あなたがたは、なぜ、生きた方を(生きておられる方を)死人のうちにたずねているのか。」(5)
 日本では、死んだ人が今も生きているとして祀られ信心され、それが伝統となり大切にされています。しかし、死んで甦られたキリストを信じる復活信仰はそのようなものでありません。キリストは今も生きておられ、私たちと共にあり、生きて働かれるのです。また、そのごとく信仰によって生きるのです。

 

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