H26.6.8主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「我は聖徒の交わりを信ず」
聖書の箇所 「1ヨハネ1:1~4」 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)

1:1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について
1:2 このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである
1:3 すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。
1:4 これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。

  教会(エクレーシア)はキリストを信じる者の集まりですが、そこに、「聖徒の交わり」(コイノニア)が生まれます。それは、すべてのものを超えるキリストにある、真実な、温かい、きよい、愛の交わりです。

1、神との交わり
 教会の交わりは、人間同士の交わりを、はるかに超えています。 「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(1ヨハネ1・3)
つまり、聖徒の交わりは、三位一体の神のうちにある交わりに招かれているのです。 イエスは、私たちが2人でも3人でも集まって共に祈る時「わたしもその中にいます」と約束されました。(マタイ18:19~20) それは私たちと主との間に存在する交わりです。クリスチャンは、十字架によって罪赦され、神の子どもとされ、一つとなって、三位一体の神の交わりの中に置かれています。私たちが祈る時、みことばを読む時、私たちは神の温かい交わりの中に招かれているのです。

2、聖徒の交わり
 教会内の信仰者同士の交わりが「聖徒の交わり」です。初代教会は、きれいごとだけでなく人間ごとにあふれていました。そのような中で、いかにして互いに愛し、分かち合い、大切にし合い、ともに喜び、ともに悩み涙する「聖徒の交わり」を育てることを、聖霊に励まされて学んでいきました。

3、「愛餐」における聖徒の交わり
 多くの教会は「愛餐」を尊びます。なぜなら主が食卓の交わり(アガペー)に共におられるからです。イエスはしばしば弟子たちと喜びをもって食卓を囲まれました。愛餐では、我らの食卓に主をお招きします。

4、「聖餐」における聖徒の交わり
 礼拝こそ最高、最上の「聖徒の交わり」です。同じ信仰を告白する私たちが、共に祈り、賛美し、神のことば(説教)に耳を傾け、聖餐にあずかり、祝福を受けます。この事実を最も顕著にしているのが聖餐です。聖餐は、主の備えられた食卓に私たちが招かれ、主と一つとされます。(1コリント10:16)

それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。  1ヨハネ1:3

プログラム 時間 音声
前奏 0:28
賛美:天地(あめつち)こぞりて

0:43

交読:17 詩篇46 1:23
主の祈り 0:53
使徒信条 1:08
賛美137: 聖なる聖なる 3:14
聖書 1ヨハネ1:1~4 1:13
賛美416: 聖霊来たれり 5:26

説教:我は聖徒の交わりを信ず

10:00

10:00

10:00

10:00

10:00

 8:28

 






賛美202: 一度 死にしわれをも 4:18
感謝の祈り 1:11
頌栄63: 父御子御霊の 1:37

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください