H26.4.13主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「ゲッセマネの十字架」
聖書の箇所  「ルカ22:39~46」
 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
22:39 イエスは出て、いつものようにオリブ山に行かれると、弟子たちも従って行った。
22:40 いつもの場所に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥らないように祈りなさい」。
22:41 そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退き、ひざまずいて、祈って言われた、
22:42 「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください」。
22:43 そのとき、御使が天からあらわれてイエスを力づけた。
22:44 イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた。
22:45 祈を終えて立ちあがり、弟子たちのところへ行かれると、彼らが悲しみのはて寝入っているのをごらんになって 22:46 言われた、「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らないように、起きて祈っていなさい」。

 この箇所は「ゲッセマネの祈り」と言われています。イエス様は十字架に架る前の何時間かをひとりで祈られました。それは、いつもの祈りではなく激しい苦闘の祈りでした。この後、イエス様は捕えられ、ついにカルバリーの丘で十字架刑に処せられます。しかし、このゲッセネにて、主はすでに十字架を担われていたのです。

1、苦しみを伴う祈り(44)
この祈りは壮絶な祈りでした。これまでにない緊張と悲壮、壮絶な感じがします。まさしく苦しみを伴う苦悶、苦闘の祈りでした。
①「この杯をわたしから取り除けてください。」(42)
 ここで、人々の罪のために裁きを受ける主が、この裁きの「杯」(十字架)を取り去ってくださいと祈っておられます。
②「イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた」(44)主は立っておられないほど困惑し、恐れ、ひれ伏されました。なぜ、これほどまで苦しみもだえ、恐れられたのでしょう。それは、主がこれから起こる十字架の出来事がどのようなものかよく知っておられたからです。全世界の罪を一身に負い、世の罪を取り除く神の小羊として十字架にかけられるのです。そこでは父なる神との交わりが断たれようとしているのです。これは他のだれも味わうことのない苦しみです。何の罪もないお方が、罪そのものとされ十字架に向かって進んで行く苦しみです。イエス様だけが経験されたことです。主は、そのような苦悶と苦闘の中を通ってくださったことを覚えましょう。

2、祈りは神への服従(42)
 「キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞き入れられたのである。彼は御子であられたのにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び」(へブル5:7~8) 主は苦しみを通して従順を学ばれました。ゲッセマネの祈りの重要ポイントは、神に従うか否かを主がいのちをかけて問われた主が「どうぞ、みこころのままになさってください」とお応えになったことです。これがゲッセマネの祈りです。

父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください。       ルカ22:42

プログラム 時間 音声
前奏 0:37
賛美:天地(あめつち)こぞりて

0:43

交読:50 イザヤ53 1:47
主の祈り 0:55
使徒信条 1:08
賛美22: 御神の愛をば 2:55
聖書 ルカ22:39~46 1:06
賛美108: 丘に立てる荒削りの 2:34

説教:ゲッセマネの十字架

10:09

10:11

10:07

 9:25

10:02

 9:20






賛美105: 栄えの冠を 2:51
頌栄63: 父御子御霊の 1:36

 

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