H25.12.15主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「すべての人を照らす光」
聖書の箇所  「ヨハネ1:1~5、9~14」 
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
1:1  初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2  この言は初めに神と共にあった。
1:3  すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
1:4  この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
1:5  光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

1:9  すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
1:10 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。 1:11 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。
1:12 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。
1:13 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。
1:14 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

ヨハネは、「すべての人を照らすまことの光」としてキリストを紹介しました。だれでも、この光であるキリストを受け入れ、生まれ変わり神の子とされるのです。

1、神の言であるキリスト
 ヨハネはキリストのことを「言」(ロゴス)と表現しました。それは、「神のロゴス」として来られた救い主、キリストを紹介することばでした。
「言」は初めからあった。キリストは「初め」から存在されたお方でした。時間の最初、歴史の最初という意味でなく時間や歴史が始まる以前から存在されたのです。
「言」は神とともにあった。キリストは永遠の神であり、父なる神と永遠の交わりの中におられたお方です。
「言」は神であった。」 
「この言に命があった」 この命は肉体的いのち、霊的ないのち、永遠のいのちです。キリストを信じるときいのちが与えられ死から命へ移されます。(ヨハネ5・24) この「言」に、キリストを入れて読んでみると、はっきりと分かります。

2、光であるキリスト
 この言は光です。キリストの来臨は私たちに神を現し神を啓示するためです。光はものを照らし見えるようにします。光なるキリストによって私たちの霊の目が開かれて、彼を通して神がはっきりわかるようになます。キリストは闇の中にいる者に光を与えます。その例証はヨハネ8章の「姦淫の女」のものがたりです。キリストの言が光を放ち、人の心の闇を暴きます。罪を犯した女を訴える群衆の闇が光に照らされたとき、彼らは光から逃げました。罪を犯した女の闇が暴かれ、女は恥と恐れに身の置きどころがなかったのでが、光の中に留まり続けました。キリストは彼女に 「わたしもあなたを罰しない。今後はもう罪を犯さないように」。(11) と言われ女の罪を赦されました。キリストの十字架は、今もどんな罪をも赦す闇に打ち勝った光として輝いています。 「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう。」 (ヨハネ8・12)

アァメン、主イエスよ、きたりませ。    黙示録22:20
プログラム 時間 音声
前奏 0:51
賛美:天地(あめつち)こぞりて

0:46

交読42: 詩篇130篇 0:58
主の祈り 0:51
賛美80: 天なる神には 2:51
新聖歌102:主は命を 2:50
証:田中恵子姉 4:11
賛美:あなたに 4:17
新聖歌330:幸い薄く見ゆる日に 3:23
聖書 ヨハネ1:1~5、9~14 1:23
賛美88: 独りの御子を 2:52
説教:すべての人を照らす光

10:05

10:02

10:04

 6:22




賛美79: 天には栄え 2:45
頌栄63: 父御子御霊の 1:43

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