H25.12.1主日礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「主を待ち望むの者のカ」
聖書の箇所  「イザヤ40:27~31」 
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
40:27 ヤコブよ、何ゆえあなたは、「わが道は主に隠れている」と言うか。 イスラエルよ、何ゆえあなたは、「わが訴えはわが神に顧みられない」と言うか。
40:28 あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。 主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。
40:29 弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。
40:30 年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。
40:31 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。 走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。

 クリスマス・アドペントは終末・主の再臨の待ち望みと重なっています。この時、私たちが待ち望む神の恵みにについて考えてみましょう。イザヤ書40章以下の部 分には「回復の恵み」が語られています。
1、私たちを回復する神
 バビロン捕囚におけるイスラエルの民の嘆きと絶望に対してイザヤは「慰めよ、わが民を慰めよ」(40:I)との主のことばを聞き、主の慰めと回復のことばを語りました。国が亡び民が捕囚となったのは、神の民が主を捨てて偶像礼拝を行い悪をなしたからです。回復の恵みは、まず神との交わりの回復から始まらねばなりません。主は一方的に赦しを与え解放を告げ回復の恵みを与えて 下さるのです。もう一度主のことばを聞き、主に立ち帰って主に祈る日毎の交わり が私たちを内側から慰め力づけます。

2、主にのみ望みをおく
 「主を待ち望む」とは、ただまことの神だけを頼りとし望むことです。主に立ち返るだけでなく、主とーつ心になるまでに主に添わせていただきましょう。偶像はどんなに力あり頼もしく見えることがあっても、必ず信頼するものを裏切ります。偶像の正体は空虚なものです。それにより頼むなら必ず、失望と落胆、絶望をもたらせます。しかし、主は「弱ることなく、また疲れることもない」お方です。世は変わり人は移りますが、主を待ち望み主に結ばれているなら惑わされることなく、しっかりと立ち、歩くことができるのです。

3、わしのように翼をはってのぼる
 「こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる」(詩篇103:5)わしの羽が新しく生え変わってさらに高く飛ぶ姿が描かれ、イザヤ4O章では、力強く天に向かって羽ばたく姿として教えられています。「試練の時」は、自分の弱さや傷つきやすさを知らされる時です。しかし、古い羽が抜け落ち、新しい羽に生え代わり、新たに風を受けて飛び立つ生まれ変わりの時でもあるのです。

主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。  イザヤ40:31
プログラム 時間 音声
前奏 0:45
賛美:天地(あめつち)こぞりて

0:43

交読40: 詩篇126篇 0:58
主の祈り 0:53
使徒信条 1:11
賛美68: 久しく待ちにし 3:04
聖書 イザヤ40:27~31 1:01
賛美70: 朝日は昇りて 2:44
説教:主を待ち望む者の力

10:00

10:00

10:02

10:01

10:00

 8:14







 
正餐式(賛美49: しみも咎も) 3:00
賛美468: やがて天に 2:37
感謝献金 1:49
頌栄63: 父御子御霊の 1:26

 

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