H25.8.18:第5回特別伝道礼拝

*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
「題」 「信じること」
聖書の箇所  「ヨハネ 1:12」
 (日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

「ただ信ぜよ」は、「神は愛なり」と共にキリスト教の中心的なメッセージです。

1、正しい事実を認識する
 「信じる」という場合、根も葉もないことをただ信じさえすればそれでよいのではありません。「信じる」ということは、明白ないくつかの事実に基づいていることが大切で、その事実の正しい認識から始まるのです。
①罪という事実を自分自身の事実として認める
 罪はまぎれもなくわたしたちの内に現存する事実であり、しかも、この罪を自分でどうすることもできないと言うのが事実です。キリストは罪からの救い主です。信仰とは、まずこの罪という事実を認識し、その罪について自分ではとうてい救えないという事実を認識することから始まります。
②死という事実、(現実)の認識
 死は、観念でなく厳然たる事実です。生きているということは、やがて必ず死ぬということです。この死から、誰も逃れることができません。
③キリストの十字架と復活という事実の認識
 キリストの十字架と復活は突発的な出来事ではなく、後世のでっち上げでもありません。なぜなら、何千年も前から預言されていたことがついに成就した事実だからです。 私たちの信仰は、自分の感情や願望の上に立っているのではなく、後で都合よくつくり上げた教理の上に立っているのでもありません。あくまでも、キリストと神が私たちの罪と死の解決のためにしてくださった事実、つまり十字架と復活に基づく贖いの事実の上に成り立つものなのです。以上のような事実の正しい認識こそが信仰の土台です。「永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」(ヨハネ17・3)「知る」は信じるということばと同義語です。これらの事実を正しく認識したならば、次はどうしたらよいのでしょうか。

2、受け入れる
 「この方を受け入れた人々、すなわちその名を信じた人々には、・・。」(ヨハネ1:12) 「信じる」というのは「受け入れる」ことなのです。救いの事実を信じ受け入れることです。そこにキリストの救いが成就します。

しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。  ヨハネ1:12

プログラム 時間 音声
Ⅰ、賛美歌を歌おう    
 (1)♪マジェスティ 3:34
 (2)♪祈ってごらんよ分かるから 4:06
 (3)♪主の愛が今 4:30
 (4)詩吟 6:44
 (5)私の信仰紹介 8:52
 (6)主の祈り 0:55
Ⅱ、聖書のお話し    
 (1) 信じること

10:06

10:07

10:10

 6:46

 (2)賛美325:歌いつつ歩まん 3:22

 (4)賛美165:栄光イエスにあれ
 (5)祝福の祈り

1:40

 

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