*聖書のお話し(バイブル・メッセージ)
(・聖書をもっておられる方は、今日の聖書の箇所を開いて 読んでください。)
「題」 「霊的祝福を求めて」
「聖書の箇所」 創世記25章19~34節
ヤコブの生涯を3週にわたって学びます。
ヤコブはアブラハムのような人格の高潔さ、イサクのような純朴で素直な人柄とはかけ離れた人物です。彼のようなよこしまな人物が、なぜ神に選ばれて祝福を受け継ぐ者とされるのでしょうか・・不思議です。
1、誕生(21-25)
子が与えられず、父イサクは神に祈りました。すべてが神のご計画の中にありますが、アブラハムの場合と同様イサクも子の誕生について信仰の試みを受けました。神の選ばれた特別な器の誕生のためには、祈りが必要なのです。
2、エサウとヤコブ (19~28)
双子が胎の中で押し合ったのでリベカは不安を感じ祈りました。長子は毛深く赤いのでエサウと名付けられ、弟は兄のかかとをつかんで生まれてきたのでヤコブと名付けられました。エサウは野山を好み、長じて巧みな狩猟者となり、ヤコブは穏やかな性で天幕の生活を愛しました。彼らはその性格や気質において正反対でしたが、彼らを決定的に分けたのはその霊的感覚でした。
3、長子の特権を軽んじるエサウ(29~34)
ある日、飢えていたエサウは、ヤコブが求める長子の特権を一杯のあつものと取り替えてしまいました。目先の一時的なことのみ関心を持ち、見えない霊的な永遠に関わることを軽んじたのです。彼は、自
分に与えられている霊的祝福と特権について無自覚、無頓着でした。神の選びのご計画の中で、私たちは畏れをもって信仰により誠実な応答をしていかねばなりません。
エサウのように不品行で俗悪なものになってはなりません。(へブル12:16)
3、霊の祝福を求めるヤコブ (30~31)
ヤコブが兄エサウから長子の特権を奪った悪賢いやり方に怒りを感じます。しかし、反面、ヤコブがこれほどまで激しく神の祝福を求める執念・熱心さに教えられます。「天国は激しく襲われている。そして、激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。」(マタイ11:12) 果たして、私たちは神の祝福を願い、襲い奪い取るほどの気迫と熱意をもって求めているでしょうか。
彼の行ったさまざまな悪いやり方に関して、神はその一つ一つに正しく報いられました。彼が身を寄せた他人から、今度はヤコブ自身が苦しめられ、騙され、裏切られ、彼がやって来たことを、今度は彼自らが刈取らねばなりませんでした。神の懲らしめと取扱いに身をゆだねなければならなかったのです。その中で、彼は謙ることを覚え、悔い改め、神に選ばれ愛されている者にふさわしく変えられていくのです。神は公平です。神は真実です。
クリスチャンとされた私たちが、神から与えられている霊的祝福と特権を自覚し、尊び、ふさわしく生きることができるように。 さらに、豊かな祝福を追い求めるものでありましょう。