R7.12.21 クリスマス礼拝式

題: 「ひとり子を与えるほどに」
聖書の箇所 「 ヨハネの福音書 3章16~21節」(新約P.180)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。
19 そのさばきとは、光が世に来ているのに、自分の行いが悪いために、人々が光よりも闇を愛したことである。
20 悪を行う者はみな、光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光の方に来ない。
21 しかし、真理を行う者は、その行いが神にあってなされたことが明らかになるように、光の方に来る。

1,ひとり子を与えるほどに
16節「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。」
「そのひとり子をお与えになったほどに」とは、なんと大きな愛でしょうか。自分のひとり子のために、何でも与えたいと願う人がほとんどで、自分のひとり子を与えるほどに、他者を愛する人がいるでしょうか。神様はそのような人知をはるかに超えた愛をもって、私たちを愛し、救われることを願ってくださるお方です。

2,一人として滅びることなく
16節「それは御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」
「滅びる」とは「失われる」と訳することもできることばで、ルカの福音書15章に記されている、一匹の羊、銀貨一枚、放蕩息子の3つのたとえ話にも用いられています。神様がひとり子を与えてくださったのは、私たちを一人も失いたくない、私たちを失わずにすむのなら、身代わりにひとり子を失ってもよいという愛が理由でした。

3,世をさばくためではなく
17節「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」
さばきとは、無罪か有罪か、有罪であればどの程度の罪なのかを区別する働きと言えます。「さばくためではなく」とは、誰一人として区別せず、すべての人を御子によって救うということです。しかし、すべての人の救いのため、御子がさばきを受けられました。御子を信じる人は、神様の真実な愛に導かれ、光の中を生きる者とされるのです。

R7.12.14 降誕節礼拝式

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R7.12.7 創立記念礼拝・聖餐式

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題: 「約束を覚えておられる神」 聖書の箇所 「 ルカの福音書1章57~80節 」(新約P.109) ※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会 57 さて、月が満ちて、エリサベツは男の子を産んだ。 58 近所の … 続きを読む

R7.11.30 礼拝式

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R7.11.23 礼拝式

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