題: 「道でありいのちであるお方」
聖書の箇所 「ヨハネの福音書14章1~6節」(新約P.213)
※聖書:新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
1 「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
2 わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。
3 わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。
4 わたしがどこに行くのか、その道をあなたがたは知っています。」
5 トマスはイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。」
6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
1,心を騒がせてはなりません
1節「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」
自分の行いをもって天国に行くことを考えるなら、心が騒ぐのではないでしょうか。イエス様は、「神を信じ、また私を信じなさい」と語られます。「信じ」とは信頼してすべてを任せることです。全面的に神様に委ねるなら、心が騒ぐことがなくなり、平安が与えられます。
2,イエス様が迎えてくださる
3節「わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」
ここでは「わたしが」と主語が強調されています。イエス様が用意され、イエス様が迎えてくださる。必要なことはすべてイエス様がしてくださるから、私たちは天国に入ることができるというのです。なぜなら私たちは自分の力で天国への道を開くことはできないからです。
3,イエス様が道でありいのち
6節「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』」
「わたしが道」とは、イエス様が私の身代わりとなってくださった十字架が救いの道、天国への道ということです。「真理」は「真実」の意味もあり、十字架の愛が私たちのためであることが真実であると宣言しています。イエス様の愛は私のためと信じて受け入れるなら、イエス様とひとつにされ、いのちに満たされます。



