H30.9.9主日礼拝

「題」 「キリストのあわれみ
聖書の箇所 「ルカによる福音書18章35~43節
(日本聖書協会:口語訳聖書より引用)
18:35 イエスがエリコに近づかれたとき、ある盲人が道ばたにすわって、物ごいをしていた。
18:36 群衆が通り過ぎる音を耳にして、彼は何事があるのかと尋ねた。
18:37 ところが、ナザレのイエスがお通りなのだと聞かされたので、
18:38 声をあげて、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい」と言った。
18:39 先頭に立つ人々が彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子よ、わたしをあわれんで下さい」。
18:40 そこでイエスは立ちどまって、その者を連れて来るように、とお命じになった。彼が近づいたとき、
18:41 「わたしに何をしてほしいのか」とおたずねになると、「主よ、見えるようになることです」と答えた。
18:42 そこでイエスは言われた、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った」。
18:43 すると彼は、たちまち見えるようになった。そして神をあがめながらイエスに従って行った。これを見て、人々はみな神をさんびした。

1、わたしをあわれんでください
38節「声をあげて、『ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんで下さい』と言った」。
盲人は物ごいをするほど無力な存在でした。しかしイエス様がおられると聞き、「わたしをあわれんで下さい」と叫びます。イエス様のあわれみは、この世から排除されるような人にこそ注がれます。そして、そのような人を立ち上がらせ、求める心を起こさせるのです。

2、わたしに何をしてほしいのか
40~41節「彼が近づいたとき、『わたしに何をしてほしいのか』
とおたずねになると、『主よ、見えるようになることです』と答えた」。
「あわれんで下さい」と叫ぶ盲人に、イエス様は「何をしてほしいのか」と尋ねられます。盲人を物ごいとして対応するのではなく、イエス様に堂々と願いを言うことのできる、対等な存在として受け入れられます。イエス様のあわれみは、その人の存在を回復する力があります。

3、主よ、見えるようになることです
42節「そこでイエスは言われた、『見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った』」。
この物語は、ただ目の見えない人が見えるようになったというだけの話ではないと思います。わたしたちはこの盲人のように、イエス様の御姿が見えているでしょうか。イエス様のあわれみを求める必要がある、自分自身の姿が見えているでしょうか。
「見えるようになれ」。これはわたしたちこそ必要な、イエス様からの大切な語りかけではないでしょうか。

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